胃癌(その1)

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覆った余命1年の宣告―手術を断り、自然医食で癌を克服―

患者さんの体験談

 胃に激痛が走り、病院の検査で胃癌の末期と判明。余命1年の宣告を受ける。手術を断り、自然医学を選択。以来、玄米菜食を実践し、癌を克服―。劇的な体験談を話してくださったのは、Aさん(福岡県在住・59歳・男性)です。
 昨日はふぐ刺、今日は松坂牛のすきやき…と、毎日、美食を重ねていた篠崎さんにとって、玄米菜食はまるで別世界の食事のようでした。しかし、一度決めたことはとことんやるという強い決意の下、食事療法を実践された結果、3年後の病院の検査で癌は全く見つからなかったのです。
 そして現在、20代続く甘味茶屋のオーナーとして、忙しい仕込みの時期の仕事もばりばりとこなしています。体の状態は、寝ないで遊びも仕事もできた20代前半くらいに戻ったと感じるとのこと。
 苦しい時期を乗り越えた末に、玄米菜食を楽しみ、登山を楽しみ、仕事を楽しみ、そして癌という生活を楽しむというところまで辿り着いたと話すAさん。その溌剌としたご様子は、一緒にいる人を自然と元氣にしてしまうようなパワーに満ち溢れていました。

院長の所見

診察(2007年2月23日)
■内臓機能検査
血液の循環の状態、肺の働きは鈍い。自律神経の働きは不安定。神経的に、胃、小腸、大腸の働きは変化しやすい。消化管としては、胃から十二指腸にかけて働きが少し落ちている。神経的なストレスが十二指腸にまとまりやすいという傾向がある。大腸の一部に少し負担がかかっている。腹部臓器では、肝臓、腎臓の働きなどが低迷している。
■一般血液検査
血液の数値では、尿素窒素、腎臓の数値が少々高い。中性脂肪はよろしい。

院長 GOT、GPTの肝臓の数値で見ると、どんどん肝臓から毒素が抜けてきています。GOTが44、25、15、そしてGPTが38、18、11と、肝臓の数値が徐々によくなってきています。非常にいいことです。
 それから血液生態ですが、これは腸から出てきた毒素です。これは血液中の酵素の作用でどんどん解体しつつある過程です。これは肺から出てきたものです。円盤状毒素といわれるもので、ストレートに末梢血液空間に移動しないであちらこちら道草をくっていたんですね。いろんな種類の毒素が血液中に溶毒してきてから、最後にこういう種類の毒素が出てきます。他の毒素のほとんどが先に出てしまった状態だ―と考えてよろしいでしょう。

Aさん 前回から4ヶ月、がんばった甲斐があったんですね。

院長 そうですね。それから、毛髪氣能検査の結果を見てみると、自律神経、交感神経、副交感神経、交感神経はプラスですが、副交感神経がマイナスです。従って消化管、特に胃、十二指腸、小腸までがマイナスになっています。これは神経的に胃から腸までがダメージを受けやすいということを教えているわけですね。

Aさん 仕事やってたら、どうしてもなりますよね。神経つかいますから(笑)。

院長 おそらく4~5年前に癌ができる直前は癌の数字がマイナス7なら、リンパがマイナス8くらいです。そうでないと癌は成立しないわけですから。癌のマイナス7がマイナス2になり、リンパのマイナス8がプラス3に変わってきた―ということは、癌とリンパの両者がもう完全に仲間割れしているということですね。癌ができるのには、2つの要素が必要なんです。リンパと癌。リンパの方がちょっともう逃げちゃっているという感じです。だから癌の方はひとりではもうやっていけないという状況になっています。枯れはじめています。リンパはプラス3なので、すでに11段階くらい改善されているというわけです。

Aさん 先生のおかげです。

院長 それから、玄米、丸麦、ハト麦、粟、稗、黒豆、小豆、大豆、ソバ、穀類は全部合っている。玄米以外にハト麦、粟、黒豆、ソバが合っています。

Aさん 先生、癌のオリーブさんとはこのくらいで仲良くしておいた方がいいですけんね。なくなったら困る。先生に会いに来れんもん(笑)。リンパの方はぬけていくんですか?

院長 リンパの数値はもう少し上がります。

Aさん 目標はリンパをもう少し上げることですね。

院長 ということで、あなたの場合は…、「ルチルクォーツ」が合っています。この石をライトや太陽に透かすと、いっぱい細い針が入っているのが見えます。売店に置いてあるので、見るだけ見ていってください。

Aさん 針入り水晶ですか。

院長 針入り水晶。ルチルクォーツ。それが非常によく合っていますよ。

Aさん 先生、2月17日の大阪の講演会では、ありがとうございました。講演でぼくの体験談を聞いた何人かの方から連絡があって、役に立つことがあればと思い、お話をしました。
 土曜日の大阪講演から帰って、日曜日の夜から九重山に登り、一昨日、下山して帰ってきました。それから今日こっちに来たんです。それだけの体力がついてきました。

院長 ほう。すごいですよね。

Aさん ところで先生、今回ごほうびとして食べていいものはありますか。前回は「カレーはいいぞ」と言われました。まだ寿司はだめですよね

院長 うん。小さい、きびなご、こうなご、いかなご…くらいまでならよろしいです。
 これからシーズンに入りますから、新鮮なものを見つけたら、しばらく水槽の中に生かしておいて、何匹ずつかフライパンで油を引かないで乾煎りします。熱を通して柔らかみ―弾力性が残っている状態で、わさび醤油につけて召し上がるということなら、一週間に1回くらいはできるんじゃないかな。

Aさん ごほうびですね(笑)。
 それと先生、いつの日か先生と一緒に長寿村に連れていっていただきたいと思います。今年も行かれるんですか。

院長 今年も行かざるを得ないでしょう。

Aさん ぜひ行きたいので、よろしくお願いします。

インタビュー

余命1年の宣告を受けて

――登山から帰ってすぐに、福岡から診療にいらしたということですが、とてもお元氣そうですね。

Aさん 九重山といって、九州で一番高い山に登って、3日間、山籠りをしました。本当に寒かったけれど、「この体をありがとうございます」と感謝が湧いてきました。
 癌にかかる以前、癌後、そして癌を経過して今年の正月と全然違っているのが自分でもわかります。いろいろ格闘はありましたけれど、癌になってなくしたものは何もありません。いいことばかりです。

――さっそく、体験談をお伺いします。

Aさん ちょうど3年半前ですが、胃癌の末期なので、もって2年、短くて1年以内に死んでおかしくないと、日本で何番目かに入る先生から言われました。それで、手術する、しないという話になったんです。「ちょっと待ってくれ、店もある、おやじも、おふくろも、息子もいる。いろいろ荷物を背負っているんだから、切る前に段取りを組ませてくれ」と頼んで、2~3日考えました。考えた結果、自然療法でいこうと。

――自然医学のことは、ご存知だったんですか。

Aさん ぼくはすごい肩こりなので、猪俣君という後輩に週1回操体法を受けているんです。その猪俣君に先生の講演会に連れて行ってもらったことがありました。その当時は、玄米菜食なんてぼくには蚊帳の外で、何のことだろうと思っていたんですが(笑)。
 余命1年だということで、猪俣君にも相談したら、「玄米菜食をやったらどうかねえ?」と言われたんですよ。先生の話は一度聞いていたから、自然療法というのはすーっと抵抗なく入ってきました。癌を切っても切らなくても、とにかく森下先生のところに行こうと、すぐに予約を入れました。

――最初の診察はどうでしたか。

Aさん 写真を見せたら、先生から、「立派な癌ですね」と言われました(笑)。
 ぼくの周りには食事療法で癌を治した人がいないし、切ったほうがいいという意見がほとんどだったんです。それで、「先生の考えを教えてください」と訊いたら、先生は「自分が招いたことだ」と言うわけです。

――癌になるまではどんな生活でしたか。

Aさん もう、365日、肉、魚中心の外食ですね。フグ食ったり、寿司食ったり、すき焼き食ったり、銭がかかってます。肉は松坂牛、100gで3700円です。季節の野菜なんていうのは、ほとんど食したことはないです。この前、子供と計算したんですよ。食材にいくらかけて癌になったかと。なんと1億円近くかかっているんですよ。本当に笑い話ですけれどね(笑)。
 それで、先生から、「親が食べろと言ったものを食べず、好き勝手なものを食べて、今度は癌になりました。それで癌になったら、自分の命を人に預けるのか?」と言われました。食事療法をするかどうか次回までに決めるように言われて、1回目は帰ったんです。2回目に来る前に、玄米菜食でやっていくことを決めました。

――それまでと180度違った食生活をするようになっていかがでしたか。

Aさん はっはっは…地獄ですよ(笑)。本当に地獄。肉とか魚とか、今まで主体だったものが全部視界から消えるんですから。おかずには、今まで見向きもしなかったゴボウ、レンコン、ニンジンなんかがぽそっとあるだけで。最初は、「本当にこんなんで大丈夫なのかな」と思いましたよ。でも、一度自分でやると口に出して言ったことを覆して、こっそり他のものを食べるわけにもいかない。「よかたい! これしか食うもんないんじゃけん」と腹を据えました。最初は玄米200gを一日に2回に分けて食べて、おかずは、一日に、ゴボウ、レンコン、ニンジン、小松菜を一切れずつ。味噌汁は一日何杯飲んでもいいということだったので、どんぶりに一杯くらい飲みました。
 玄米をよく噛んで食べるようにと指導されて、はじめは60回、次に来た時には100回、その次は150回になりました。桜沢先生の奥さんの書いたマクロビオティックの本を見たら、100よりも200、200よりも300と書いてあったので、ようし、300回噛むぞと思ったんです。一食あたり5000から6000回噛むと決めたのが癌2年目です。

――続けてこられた原動力は何でしたか。

Aさん 子供への愛ですね。余命が1年と言われて、「ぼくがこの子に残してあげられるものは何か?」ということを考えたんです。一番何を残せるかなと思ったら、この子の父親として私はこうであったという自分の姿だと思ったんですよ。
 手術しないで、食事療法で治すと言ったら、息子は泣いて大反対しました。ぼくはこう言いました。「自分が叩いた太鼓やけん、これだけはさせてくれ。1年やってだめだったら、それまでの命、2年生きたら儲け、3年目があったら付録だろう。ただし、これは死ぬためにするんじゃないぞ、生きるためにするんじゃけん。俺の生きざまをよう見とけ」。博多には、祇園山笠というお祭りがあります。博多の男は、山笠でその生き方を極めさせられるんです。一番太鼓がドーンと鳴ったら、山笠の山車を担いで一直線にゴールに向かう。ゴールのことを「廻り止め」というんですが、「廻り止めがくるまで俺の生きざまを見ておけ」という氣持ちでした。

――診察の時、隣に息子さんがいらっしゃいましたね。

Aさん 子供にはずっと支えてもらいました。以前は診察の時に、先生にあれも訊こう、これも訊こうとしていたのが、「もう先生に何も訊くことないや」と言います。それだけ、ぼくがやったことを認めてくれたということなんです。

――途中つらくなったことはないですか。

Aさん ありますよ。つらさというのは、経験した人でないとわかりませんよ。

 玄米菜食をはじめてから1ヶ月くらいで、68 kgあった体重が一氣に42・8kgまで落ちたんです。そうしたら、体に寒が走るとですよ。ストーブを4台つけてジャンパーを3枚羽織っても寒いんです。お風呂に入って温まっても、出てタオルで体をひと拭きすると骨がしーんと冷えてくる。そういう状態が半年くらい続きました。
 次の年、桜が咲くか咲かないかという時期にお山に登った時のことです。ご来光に手を合わせていたら体が熱いんですよ。それでジャンパーを脱いだんです。操体法の猪俣君に言わせると、停止していた肝機能が動き出したんじゃないかということです。

――今のようにお元氣になられたのはいつくらいからですか。

Aさん 玄米菜食をはじめてから3年後の去年の12月くらいです。12月の半ばから、節分までの間、アンコと粉の仕込みが続くんです。半端な仕込みではないので、氣が抜けないのですが、その1ヶ月半を乗り切りました。

――食事療法をはじめてから仕事に対しても何か変化がありましたか。

Aさん 変わりましたね。昔は自己中心型だったけれど、今は影の力となるのがうれしいです。「俺が俺が!」じゃなくて、「みんながいるからできた」そんな考え方になれたのも食事のおかげです。

――つくるお菓子はどうですか。

Aさん これは、全部、玄米菜食をはじめてからつくったものなんです(写真参照)。先生から羅漢果は氣能値が高いので、羅漢果を混ぜて何かいいものをつくらないかと言われたのがはじまりです。糖尿病や癌の人も食べられるような和菓子をとことん追求しようと思っていますから。

癌は消えていた

――ところで、胃の具合はどうですか。

Aさん チクチクも全くないです。快適です。

――胃癌がどうなったか、その後検査されましたか。

Aさん 同じ病院で検査してもらいました。七五三とあるように、3年目はひとつの節目ですよね。自分の体の状態を知っておきたいというのがあったので。
 病院の先生に「とっくに死んどるかと思った」と言われました。血液検査、胃カメラ、そして胃の細胞も採って検査をしました。ところが、結果を聞きに行ったら、「取り違えた可能性があるのでもう一度検査します」。癌が見つからなかったということなんです。医者はそれを認めないわけです。
 病院の検査結果を森下先生に見せたら、「癌もどき」だと。そして、「癌が治ったと思うなよ」と言われて。ぼくは、「絶対に治ったと思いません」。54年かかってできた癌ですから、玄米菜食3年やって治りました―なんていうのはウソですよ。治ったと思ったら、人間というものは弱いものだから、元の生活に戻ります。お山にも行かなくなり、先生とも会わなくなります。癌があるからこそ、続けられるんです。
 3年かかってようやく玄米菜食の基本に辿り着きました。これからなんです。「帰ったらまた一からがんばるぞ! よっしゃ、今度はもっとよくなってやるぞ!」というところです(笑)。